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王力(おう りき、1900年8月10日 – 1986年5月3日)は、中国の言語学者。中国語の音韻・文法などの広い範囲にわたって功績を残した、代表的な中国語学者のひとりであり、言語教育や中華人民共和国の言語政策(普通話の普及や拼音)にも深くかかわった。 字の了一でも知られる。室名は龍蟲並雕斎。 == 生涯 == (参考文献の『王力文選』の巻末にある「王力先生生平与学術活動年表」による) 王力は広西省博白(現在の広西チワン族自治区玉林市の一部)の学者の家に生まれた。名ははじめ「祥瑛」といった。はじめは伝統的な学問を身につけ、小学校教師をしていたが、『馬氏文通』を読んで中国語の文法の研究に目を開かれた。 1924年に江亢虎が創立した上海南方大学に入学するが、翌年江亢虎が溥儀の復辟を図る事件が起きると、それに反対する学生運動に参加して退学になり、章炳麟の国民大学に入学した。1926年に清華大学国学研究院に入学し、梁啓超・陳寅恪・趙元任らに学んだ。翌年卒業。論文は「中国古文法」であった。 1928年にフランスに留学してパリ大学で実験音声学と一般言語学を学び、1931年に卒業した。パリ大学でも文法に関する論文を書く予定だったが、それは時間がかかりすぎると言われたために止め〔『中国現代語法』の自序による〕、自分の言語(博白方言)を実験音声学的に研究した論文「」を書いた(なお博白方言は粤語に属するが、入声が4種類に分かれるなど特徴のある言語である)。 1932年に帰国して清華大学の講師となり、一般言語学と中国音韻学を教えた。日中戦争がおきると清華大学は奥地に移転し、王力もそれに従って長沙臨時大学・桂林(西南連合大学)へ移った。その間1939年夏から1年間ハノイに渡って漢越語の研究を行っている。 戦後の1946年には広州の中山大学教授に就任し、1948年には嶺南大学に移った。中華人民共和国成立後の1952年に嶺南大学が中山大学に併合されたため、ふたたび中山大学の教授になった。 1954年には北京大学に移った。同年、文字改革委員会の委員になり、漢語拼音方案の制定にかかわっている。翌年には中国科学院哲学社会科学部の学部委員・語言文化研究所学術委員会の委員に就任している。 文化大革命では他の多くの言語学者と同様に「反動学術権威」ほかの罪状を着せられて批判され、強制労働などをさせられたが、その中でもひそかに執筆活動を続けた。1980年代に出版された『詩経韻読』『楚辞韻読』『同源字典』などはこの時期に書かれたものである。 1979年には共著で『古漢語常用字字典』を商務印書館から出版している。 晩年の1981年に日本を訪れている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「王力 (言語学者)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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